【海外で活躍】歯科衛生士インタビュー「歯科衛生士という仕事が、私の人生をここへ導いてくれた」
歯科衛生士の役割や地位は国や地域によってさまざま。
歯科衛生士という資格が生まれた地・アメリカ合衆国では、歯科衛生士の業務範囲は日本よりも広く、資格試験もかなりの難易度です。
そんなアメリカのハワイ州で初の日本人歯科衛生士となり、現地で活躍する未絵 加藤 崔さんに資格取得までの経緯や現在の活躍ぶりを伺いました。
*こちらは、2018年12月発行「就活BOOKクオキャリア冬号」掲載記事を再編集したものです。掲載情報は当時のものとなります。
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目次
プロフィール
未絵 加藤 崔さん(みえ かとう ちぇ)
札幌市生まれ。函館歯科衛生士専門学校を卒業後、同市内の歯科医院に勤務。1993年、ハワイ州に留学。カピオラニコミュニティカレッジ教養科を卒業後、ホノルルの歯科医院にDAとして勤務。1年後、ハワイ大学看護学部歯科衛生士科に入学。2003年に卒業し、ハワイ州初の日本人歯科衛生士となる。日本とハワイのダブルライセンス保持者として幅広く活躍し、2016年、Hawaii Academy of Dental Medicineを設立。ハワイジャパニーズ歯科協会理事。
所属:American Dental Hygiene Association,Oral Cancer Foundation,iACD
歯科衛生士という仕事が、私の人生をここへ導いてくれた
海を渡って 再び歯科と出会う
当初の渡米の目的は、歯科とは一切無関係。北海道内の歯科衛生士学校を出て地元の歯科医院で働いていましたが、貯めたお金で海外留学をしよう! と思い立ちました。そのチャレンジにワクワクしており、帰国後のビジョンなども明確にあったわけではなかったと思います。
ゆかりがあって留学先をハワイに決め、将来何かの役に立つかもしれないとコミュニティカレッジで幅広い領域の科目を履修。言葉の壁とも格闘しながら、2年間通い続けました。卒業すると1年間の就労許可をもらえる制度があることを知り、「努力してせっかく手にした権利だから、ハワイで働くことに挑戦したい。それもローカルな環境で」と奮起。新聞の求人欄をくまなく読み込んでいくと、そこに歯科アシスタントの募集広告が! 思いがけない歯科との“再会”に縁を感じて飛び込んだところ、幸いにも採用してもらい、国境を越えた私の歯科勤務キャリアがスタートしました。
ハワイ州“初” 日本人歯科衛生士、誕生
勤務を開始して驚いたのは、とにかく私の知っている日本の歯科医院とはあり方がまるで違うということ。時間内にすべてのことが終わる、完全予約制、待合室に患者さんがいない、一人の患者さんにかける時間が長い、一日の患者数も日によっては午前中に2人、午後に1人とか。
「アシスタント業務でさえゆっくりできる!」
その後、ハワイで出会った人と結婚。これからこの地で生きていくのだと考えたときに、「こっちの歯科衛生士の資格を取ってみては?」と知人からも勧められ、ハワイ大学看護学部歯科衛生士学科に入学することを決めました。当時、本学の歯科衛生士学科を過去に卒業した日本人の実績はゼロ。噂以上にアメリカの大学での勉強はハードで、毎朝3時に起床して勉強と実習。帰宅するのは夜の9時。厳しい生活でしたが、諦めてはいけないと思いました。日本人第1号としての修学を応援してくれた人たちの思いに報いたい、そして今後私に続いていくかもしれない未来の日本人歯科衛生士たちの道を閉ざしてはいけないという気持ちがあったからだと思います。
先駆者として、後に続く人たちのために
ほんの数年前まで日本の歯科業界とはまったく接点がありませんでしたが、ある日本のメディアにコラムを寄稿することになり、それがきっかけで現在の日本の歯科衛生士の姿に触れることになりました。歯科衛生士の見られ方や求められ方が変わってきていることをうれしく思う反面、自分の行っている診療に自信を持てずに毎日悩んでいる若い歯科衛生士が多くいることを知りました。
「何か自分にできることはないか? 今こそ恩返しをしなくては」
思えば、歯科衛生士という仕事についたことで、留学や海外での勤務を実現でき、多くの人の支えも得られ、一つの領域のパイオニアになることができました。これからの時代を切り拓いていく人たちに、私がアメリカで歯科衛生士として得た経験を伝えていくことで、これまでの感謝をたくさん届けられたらと思っています。
2018年9月20日から開催されたセミナー「DHの歯周病予防と治療・アメリカンスタイルPMTC」の講義風景。本セミナーの受講のために日本からやってきた現役歯科衛生士たちも真剣。
【各種セミナーのお問合せ】https://hawaiidentalac.com/ ハワイデンタルアカデミー