被災地へ向かうまで――東日本大震災の記憶<1>
勝村聖子の歯科法医学日誌 #7 会員限定皆さんこんにちは。毎日暑いのも嫌だけど、寒さ到来には少し寂しさを感じている私です。先日、知り合いの先生から「庭の桜が咲いちゃったわ」とメールをいただきました。まさに「狂い咲き」。突然夏日になったりして桜も季節を間違えてしまったのでしょうか。近頃は暑いか寒いかで、春や秋を感じることが少なくなったように思います。メールに添付されていた綺麗な桜の花の写真は心和みましたが、地球温暖化や異常気象という言葉を実感しました。
さて、異常気象・災害と言われて一番気になるのは、やはり地震です。現代の科学的知見からは「(時)一週間以内に、(場所)東京直下で、(大きさ)マグニチュード6~7の地震が発生する」という限定は難しいそうです(気象庁HPより)。でも日本の地形やこれまでの大地震の発生間隔を考えると、いつ起きてもおかしくない。そして次は「未曾有」「想定外」は通用しないと思うのです。
2011年3月11日東日本大震災発災当日、皆さんは何を思い出しますか。先日、ある高校に出張講義でお邪魔しました。「当時何歳ぐらい?」と聞いたら、返ってきた答えはなんと「3歳」! さ・ん・さ・い?!?! 産まれたばっかりじゃん! 昭和生まれ40代の私にとって12年前は結構最近の出来事だったりするわけで。3歳の子が高校生になるほどの月日が経ったということなのですよね。そしてあの日の記憶はどんどん風化してきています。その一方で未だ多くの方が震災の傷跡の中で過ごし、あの日を思い出したくない方もたくさんいらっしゃると思います。でもあの災害に関わった1人として、あの時そしてあれからのこと、反省も含めた記録や教訓を紡いでいきたいなと、私は思います。
立派なことを言っておきながら。実は私、あの日は沖縄旅行中で、大震災を体験していません。もちろん東北で大きな地震があったことは知っていましたが、あの津波の規模は、ホテルに帰って点けたテレビで初めて知りました。夜中になってようやく上司と連絡が取れ、「犠牲者が多く出ている模様。被災地に向かうことになる。いつ戻る?」という端的なメールが一気に私を緊張させました。どうしよう、帰らなきゃ、ここにいちゃいけない。ホテルの部屋で足は竦み、呆然となりました。そして翌日沖縄から戻り、準備をするため大学に行きました。いつもは休日でも多くの先生が仕事をしているのに、この日は全館停電で真っ暗、空気も冷たく静まりかえり、エレベーターも動きません。まるで映画の1シーンのようでした。
身元確認に必要な機材・道具一式に加え、最低でも1週間は滞在することになるだろうと、食料、水、ペーパー類、タオルなども詰め込みました。警察署の道場で雑魚寝かもしれないと、ドライシャンプーや耳栓も用意しました。福島の原発事故の状況を確認しながら13日の夕方、神奈川県警の車で大学を出発し、被災地・岩手県へと向かいました。車内から家族・知人に「今から被災地に向かいます」と報告メールを送っていた自分を振り返ると、やはり非常事態に緊張していたのでしょうね。
閉鎖された東北道はガタガタで、通る車はすべて赤いライトを点灯した緊急車両、異様な光景でした。途中立ち寄ったサービスエリアも停電で真っ暗。災害支援の自衛隊や警察、ボランティアの車だけが並びます。
女性はほとんどいなくて、真っ暗な女子トイレに1人で入る勇気もなく、同行していた男性陣にくっついて男子トイレに入り、個室の前で待っていてもらいました。今でも和式のトイレに入ると、「足が落ちたら大変」と慎重に壁伝いに摺り足で出入りした記憶が蘇ります。盛岡の岩手県警本部に到着したのは夜中の3時か4時ぐらいで、被害状況や今後の動きについて説明を受けました。空が明るくなってきた頃、再度警察車両に乗り込み、そのまま沿岸部へ。そこから遺体安置所での作業開始となりました。
往路だけでもたくさんのことが思い出されますが、今日はこのへんで。次回は実際の遺体安置所での活動についてはお話しします。それではまたお会いしましょう。
P.S. 現地では警察署道場ではなくホテルを用意していたただき、毎日睡眠をとることができました。
鶴見大学 准教授
勝村聖子
歯学部を卒業後、東京医科歯科大学大学院を修了し博士号(医学)を取得。細菌学、解剖学に籍を置いたのち、鶴見大学にて歯科法医学の研究に携わる。2011年に東日本大震災で身元確認を行ったことをきっかけに、フジテレビ『監察医 朝顔』の法歯学監修も担当。仕事のお供にドライフルーツやナッツを食べるのが好き。
歯学部を卒業後、東京医科歯科大学大学院を修了し博士号(医学)を取得。細菌学、解剖学に籍を置いたのち、鶴見大学にて歯科法医学の研究に携わる。2011年に東日本大震災で身元確認を行ったことをきっかけに、フジテレビ『監察医 朝顔』の法歯学監修も担当。仕事のお供にドライフルーツやナッツを食べるのが好き。
勝村聖子の歯科法医学日誌の記事一覧
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