関東大震災から100年。災害による社会の変化を考える
勝村聖子の歯科法医学日誌 #6 会員限定皆さんこんにちは。いかがお過ごしですか。暑さの中にも少しずつ秋の気配を感じるようになりましたね。
いよいよ年度の後半戦。私は最近、通勤中にYouTubeで「2023年後半の〇〇さんの運勢」を流し見するのにはまっています。ポジティブなことを言ってもらえると朝から気分が上がるのが不思議です。話を聞きながら「あのことかなあ、あの人のことかなあ」なんて想像しているうちに、鶴見駅に到着しています。
そして今の心配ごとの1つは体重。コロナ明けで食事や飲みの機会が増え、それと同時に体重も・・・(>_<)。占いで「健康運が下がり気味、体調管理に気をつけて」と言われると「うんうん、確かに当たっている」と納得している今日この頃です。
さて、9月1日は防災の日。関東大震災から丸100年となりました。死者・行方不明者は10万5000人で明治以降最大規模の地震被害と言われています。お昼時の11時58分発生、木造建築が主流で台風による強風の影響もあって火災が広範囲に広がり、死者の87%は焼死でした。当時の新聞の見出しには「東京全市火の海に化す」とも書かれていたそうです。
今回、ニュースやYouTubeで、100年前のあの日のことを語る経験者の動画を観たという人も多いでしょう。100年前のことをしっかり覚えていて自ら語り継ぐことができる。素晴らしいですね。
その中で「地震で地面がどんどん割れていった。砂浜は地割れしないと思い海に行ったら、漁師から『津波がくるから逃げろ、上へ上へ上がれ』と言われた」と話していました。地震→津波→高台に避難。今でこそ当たり前ですが、100年前はそういった知識も、特に子供たちには普及していなかったのでしょう。
私も子供のころ祖母から当時の話を聞いた記憶があります。母親はお昼の支度、自分は家の中で妹の子守りをしていた時に、ゴーッという音とともに家がものすごく揺れた。何が起きたか分からず驚いて身動きとれずにいたところ、父親が靴のまま家の中に走り上がってきて妹を抱き上げ、「何してる!地震だ!庭へ出ろ!」と叫んだそうです。穏やかな父親だったからあの行動と叫び声は今でも覚えている、とよく話していました。
地震後しばらくは家に近づかず、外でムシロを敷いて寝たものの、蚊がすごくて眠れなかったとか。当時子守りをされていた側の妹たちとなつかしそうに、何十年経っているのに昨日のことのように話していたのを思い出します。
さて、記録写真などを見ると、昔は煉瓦造りの建物も多いですよね。しかし関東大震災で煉瓦造りは壊滅的な被害を受けたことから、鉄筋コンクリート造りの建築物が主流となっていきます。そして震災翌年の1924年に市街地建築物法が改正されて、世界で初めて耐震規定が加わりました。さらに火災の原因となった炊事にかまどや七輪を利用していた家庭に、都市ガスが普及していったきっかけも関東大震災でした。
この変化、若い皆さんにはピンと来ない話かもしれませんね、こちらはどうでしょう。耐震と共によく出てくる「免震」。こちらは1995年の阪神淡路大震災以降に発展してきました。さらに阪神淡路大震災では家屋の倒壊に加え、家具の転倒による圧死が死因の77%を占めました。この教訓から家具の転倒防止用品の開発が急ピッチで進められていくことになります。
また、ちょっと古い施設に行った時、蛇口のレバーを下げると水が出るタイプに出会ったことはありませんか。今は「レバーを下げると水が止まる」に統一されています。これも阪神淡路大震災の際、レバーの上に物が倒れ、水が出しっぱなしになったという教訓も一因となり、統一化の実現につながったと言われています。
大規模災害。この経験を活かし、人々は対策を強化することで暮らしを守り、安全・安心なまちづくりに向けて学びながら技術を進化させてきました。災害から学び、社会は進化する。体験者にできる最初の一歩は、その経験を伝え学びを得ることだと、関東大震災100年を機に改めて感じました。この連載も初回からそんな思いを込めて書いています。
私が歯科法医学者として経験した震災といえば、東日本大震災。次回は丸12年を迎えた震災での経験を、次の世代の皆さんに少しずつ伝えていきたいと思います。それでは、また次回お会いしましょう。
鶴見大学 准教授
勝村聖子
歯学部を卒業後、東京医科歯科大学大学院を修了し博士号(医学)を取得。細菌学、解剖学に籍を置いたのち、鶴見大学にて歯科法医学の研究に携わる。2011年に東日本大震災で身元確認を行ったことをきっかけに、フジテレビ『監察医 朝顔』の法歯学監修も担当。仕事のお供にドライフルーツやナッツを食べるのが好き。
歯学部を卒業後、東京医科歯科大学大学院を修了し博士号(医学)を取得。細菌学、解剖学に籍を置いたのち、鶴見大学にて歯科法医学の研究に携わる。2011年に東日本大震災で身元確認を行ったことをきっかけに、フジテレビ『監察医 朝顔』の法歯学監修も担当。仕事のお供にドライフルーツやナッツを食べるのが好き。
勝村聖子の歯科法医学日誌の記事一覧
- #1 身元不明死体の名前を取り戻す。歯科法医学は「人生最期の歯科医療」
- #2 解剖は、“その人”と対話する時間
- #3 介護放棄、飢餓状態…司法解剖で学んだ悲しい最期
- #4 傷の位置、タイヤ痕、出血の有無。交通事故のご遺体に隠れた事実とは
- #5 ある日突然、命が失われたら…夏休み前に考えてほしいこと
- #6 関東大震災から100年。災害による社会の変化を考える
- #7 被災地へ向かうまで――東日本大震災の記憶<1>
- #8 助け合い、譲り合う…災害時にこそ見えてくる人間のモラル
- #9 歯科医師の使命と、人としての心――東日本大震災の記憶<2>
- #10 遺体安置所は「生」のありがたさも感じる場所――東日本大震災の記憶<3>
- #11 自分は何をすべきだったのか…正解のない問いに向き合う――東日本大震災の記憶<4>
- #12 家族の服装を覚えていますか? 身元根拠に求められるもの――東日本大震災の記憶<5>