自分は何をすべきだったのか…正解のない問いに向き合う――東日本大震災の記憶<4>
勝村聖子の歯科法医学日誌 #11 会員限定皆さんこんにちは。原稿を書いている今、まだ梅雨明け宣言もなく、気温と湿度の高い憂鬱な天気が続いています。そして今年も日本各地で大雨や土砂災害の被害が出ていますね。皆さんどうぞご自愛ください。
さて、今回も東日本大震災での検案支援活動での経験についてお話をしたいと思います。
皆さんは「遺体安置所」と聞いて何を想像しますか。私は「生と死が混在する究極な場所」だと考えています。家族を探して遺体安置所にいらっしゃった皆さんは、該当する遺体がないと一瞬ほっとした表情をされます。「生きているのかも」「考えすぎだったかも」との期待を持たれるのだと思います。でもまたすぐに気を張り直して現実に向き合い、次の安置所へと家族を探しに向かいます。
東日本大震災では津波で遠方まで流されてしまったご遺体も多く、隣の町やさらに遠くの安置所まで毎日通われた方も多かったようです。そして遺体安置所では遺体収容や情報収集が追いついていませんでした。「調べるのにまだ時間がかかる」と言われ、「ではまた後で来てみます」ということもありました。私だったら「わからないってどういうことだ、今すぐ調べろ!」と罵倒してしまいそうですが、当時、被災者の皆様は本当に冷静で秩序を守り、その姿には頭が下がりました。
遺体安置所で、ある女性に出会いました。娘さんのご遺体を前に体育館の冷たい床にひざまずき、「まだ孫は見つかっていないのです。母親になったのに子供から手を離して1人だけ帰ってくるなんて、何を考えているんでしょうね」とおっしゃいました。娘さんと産まれてまもないお孫さんを一度に亡くした悲しみや戸惑い、不安、憤り、それがお嬢様へのこんな言葉になるのだと思いました。皆さんだったら、どんな言葉をかけてあげますか? 私は何も言ってあげることができませんでした。
この数日後、私はこの娘さんの写真を持つ別の女性をテレビで拝見しました。「孫を探している。一緒にいたお嫁さんはみつかった。彼女のためにも早く見つけて会わせてあげなきゃ」と話すお義母様でした。故人の交友関係はさまざまで、遺された人たちはそれぞれの立場で色々な感情を抱き、死と向き合う。大声で泣く人、静かにじっと堪える人、喪失や悲しみという感情の表し方も人それぞれなのだ、と改めて感じました。
また私が最も鮮明に覚えているのが、1人のかわいらしい女の子のご遺体です。ご家族の「いたー! みつけたー!」という叫び声と泣き声が安置所に響きました。そして最初の言葉が「ごめんね」でした。死なせてしまった罪悪感、何日間も1人で冷たい体育館に寝かされていたことへの謝罪でした。
そして家族によって身元を確認されたこの子のお母さんも同じ安置所にいたのです。少し離れて横たわる2人のご遺体は寂しげだなと思いながら、私はこの日の作業を終えました。
その翌朝・・・なんと! 離れていたはずの2人のご遺体が隣同士に移動していたのです。2人が親子だと知った関係者によるものでした。厳密に言えば、ご遺体の並べ替えは番号順に安置されるべき遺体の取り違いにつながりかねない、危険な行為です。でもこれは責めるどころか、誰もが納得できる賞賛すべき行動だったように思えます。毛布を2枚持ってきたご家族も、仲良く並ぶ2人をみて「お母さんと一緒に寝かせてもらえたんだ、よかったね。もう淋しくないね、平気だね」と、2人の上に1枚だけ毛布をかけて、帰られました。
今から13年前、東日本大震災は未曾有・想定外という言葉が繰り返し使われました。そして支援者は皆、自らの使命をきちんと果たすことができたのか、悩んだことと思います。私自身、どんな言葉をかけ、何をしてあげるべきだったのか、不快な思いをさせなかったか。今でも時々ふと考えることがあります。 でもきっと正解はないのだろうなとも思うのです。
そして歯科医療の臨床の場でも同じです。私たちは患者さん一人ひとりに対応は違いますよね。でもこれってAI(人工知能)には絶対できない。生身の人間だからこそ、生きている者同士だからこそです。もちろんときに失敗することもあるし、あれでよかったかなという不安や後悔はつきものです。でもそんなことは恐れなくてよいのです! 生きていればこそ! 毎日ちょっと誰かに優しくなれる人間でありましょう。
I hope everyone will grow as a person in This Summer!
鶴見大学 准教授
勝村聖子
歯学部を卒業後、東京医科歯科大学大学院を修了し博士号(医学)を取得。細菌学、解剖学に籍を置いたのち、鶴見大学にて歯科法医学の研究に携わる。2011年に東日本大震災で身元確認を行ったことをきっかけに、フジテレビ『監察医 朝顔』の法歯学監修も担当。仕事のお供にドライフルーツやナッツを食べるのが好き。
歯学部を卒業後、東京医科歯科大学大学院を修了し博士号(医学)を取得。細菌学、解剖学に籍を置いたのち、鶴見大学にて歯科法医学の研究に携わる。2011年に東日本大震災で身元確認を行ったことをきっかけに、フジテレビ『監察医 朝顔』の法歯学監修も担当。仕事のお供にドライフルーツやナッツを食べるのが好き。
勝村聖子の歯科法医学日誌の記事一覧
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- #10 遺体安置所は「生」のありがたさも感じる場所――東日本大震災の記憶<3>
- #11 自分は何をすべきだったのか…正解のない問いに向き合う――東日本大震災の記憶<4>
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